【ニュースレター巻頭言】12月号『「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。(ルカ19:10)」』

2022 クリスマス、心からおめでとうございます。皆様に主の祝福と平安が豊かにありますように。

タイトルのみことばは、イエス様がエリコの町でザアカイに出会った時に語られた言葉です。「出会った」と言いましたが、事実は、イエス様がザアカイを捜し求めてエリコに来られたのです。ザアカイという名前は「清い人」という意味です。しかし、彼はその名前とは真逆の生き方をしていました。彼はお金持ちでしたが、それはアコギな方法で人々からお金をむしり取って貯めたお金でした。だから彼は人々から嫌われ、のけ者にされていました。仕方ありません。自分が撒いた種ですから。彼は誰からも愛されず、孤独で、寂しい人でした。心には罪責感やうしろめたさもあったでしょう。ザアカイはまさに「失われた者」だったのです。
 
イエス様は、そのザアカイを捜し求めてエリコに来られました。そして「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」と呼びかけられました。イエス様はザアカイの名前も、何もかもご存知でした。もちろん、彼が犯して来た罪の全ても、また心の思いのすべてもご存知でした。そのうえで、彼を愛し、捜してやって来られたのです。「あなたの家に泊まる」とは「親しい友となる」ということです。「救うために来た」とは、十字架の贖いです。

ザアカイは嬉しくて、急いで木から降りて来て、イエス様を自分の家 (心) にお迎えしました。そして、イエス様は「今日、救いがこの家に来ました!」と、宣言されたのです。

これがクリスマスの意味であり目的です。そしてザアカイとは「私」であり「あなた」です。パウロは言いました。「私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちはキリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。」(Ⅱコリント 5:20) パウロは「人々の救い」を願っているのは人ではなく、神なのだ!と言っているのです。「懇願する」というのは、時代劇で言うならば …… 貧しい農民が、年貢を納めることが出来なくて「お代官様!お願えでごぜえますだ!」と、代官の足下に土下座して額を地面につけるようにして願うといったイメージでしょう。全知全能、創造主なる神様がそんなことをしますか?! …… パウロは「そうだ!」「私たちを通して」と言います。…… 宣教というのは、そういうことなのですね! ほんとうに考えさせられます。
 
今年もいろんなことがありました。でも今一心に、クリスマスの意味を深く噛み締めて、主に感謝と賛美を捧げましょう。そして賛美にのせて、この福音を人々に届けましょう。

ユーオーディア代表 柳瀬 洋