「神の霊がサウルに臨むたびに、ダビデは竪琴を手に取って弾いた。するとサウルは元気を回復して、良くなり、わざわいの霊は彼を離れ去った。」(サムエル記第一16:23)
主の御名を賛美いたします。
異常な暑さが続いたこの夏、いかがお過ごしでしたでしょうか。皆様のうえに主のお守りと恵みと平安が豊かにありますように!
7月21日、第31回ユーオーディア賛美の夕べが祝福のうちに終了しました。
出演された皆様、様々な奉仕で助けご支援くださった方々、ご来場くださった皆様 …… 関わってくださった全ての方々に、心からの感謝を申し上げます。
そして何より、私たちに志を授け、多くの同志を与え、導き祝福し、ご栄光のために私たちを用いてくださる主に、心いっぱいの賛美を捧げます!
これは今まで何度も何度もユーオーディアで分かち合ってきたことですが …… 主は全ての栄光と賛美を受けるにふさわしい唯一のお方。このお方が全てのものを創造されました。その目的は ➡「神の喜びのため」です(ヨハネの黙示録 4:11)。そして「神の喜び」とは、一人一人が神に立ち返り、一つとなって主に仕えること。主は彼らに命じられます「主に喜び歌え、喜び叫べ、喜び踊れ!」と。そのとき「主はあなたのことを大いに喜び、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」(ゼパニヤ書)のです。これが「ユーオーディア賛美の夕べ」の目指すところです。
主は賛美のうちに住まわれます(詩篇 22:3)。だから賛美には力があるのです。ダビデの竪琴の音(賛美)はサウル王の霊を癒やしました。しかし、次のことに心を留めなければなりません。「神の霊がサウルに臨むたびに」とありますが、「臨むたびに」とは、賛美による主の癒やしは一時的であったということです。根本的にサウルが賛美によって主ご自身に立ち返ったわけではありませんでした。それでもダビデはサウルのために何度も竪琴を弾き続けました。主もサムエルやダビデを用いて、何度もサウルに働きかけをされました。
私たちもただ賛美を捧げて「素晴らしかった」で終わってはならないと思います。一時的にせよ賛美のうちに主の臨在に触れたことはその人にとってかけがえのない(永遠の世界がかかった)経験、主に心を開く大きなチャンスです。実際、多くの方々が賛美の夕べのあと家族や友人達と食事会をもったりしてこの機会を用いて証しています。
賛美の夕べを終えて、賛美と音楽宣教のヴィジョンが益々大きく拡がってくるのを覚えます。次世代を担う若い方々にも大いに期待しています!

ユーオーディア代表 柳瀬 洋