【ニュースレター巻頭言】
12月号『クリスマスの出来事』

「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。」(ピリピ2:6〜8)

ハレルヤ ちょっと早いですが、皆さん!…… クリスマス! おめでとうございます!皆さんのうえに、溢れるばかりに主の喜びと祝福が注がれますように。

上記のみことばはクリスマスの意味を余すところなく表しています。主は何という愛を与えてくださったのでしょうか!そして、この神の救いの御業のために自らを捧げ、用いられた人々がいたことも忘れてはならないと思うのです。

マリアは天使ガブリエルから受胎告知された時、はじめ戸惑い恐れたのですが、「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」と、受け入れました。 それは、大変な決断だったと思います。ヨセフはいいなずけのマリアが自分ではない人の子どもを身ごもったことを知り悩みました。しかし、彼も御使いのことばを信じて、彼女と子どもを受け入れ、守り通しました。

臨月のマリアと夫のヨセフは、ローマの住民登録のためにナザレからベツレヘムまで直線距離で160Kmの道のりを旅しました。キリストはベツレヘムで生まれなければならなかったのです。ロバでの移動にしろ徒歩にしろ、岩だらけの道、それは大変な旅だったと思います。そのあげく、ベツレヘムでは泊まる宿はなく、家畜小屋で出産したのです。

家畜小屋といっても、我々日本人が思い描くようなところではありません。洞窟です。洞窟は墓場としても利用されていました。「布にくるんで飼葉桶に寝かせた」という「布」は死体を包むための布だったとも言われます。また飼葉桶とは石を削っただけの器であり、固く冷たいのです。家畜小屋は真っ暗で、非常に不衛生、悪臭漂うところでした。これは、私たちの心を象徴しています。ここにキリストは生まれてくださいました!

時のユダヤの王ヘロデはキリストの誕生の情報を聞いて、キリストを抹殺しようとしました。「ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた」(マタイ2:16)のです。 殺された子どもたちは、キリストのための最初の殉教者と呼ばれます。彼らは、自分の命をもってイエス様をお守りしたのです。その報いは天で大きいのです!

これがクリスマスの出来事です。このようにして、私たちに永遠の命の希望が与えられました。

世の中でもクリスマスを祝い、騒いでいます。しかし、本当の意味を知りません。一人一人がこれほどまでに神に愛されていることを知らないでいるのです。私たちはマリアやヨセフやベツレヘムの子供たちのようにはなれませんが、それぞれの立場で精一杯、主にお仕えしてゆこうではありませんか。そして、愛する人々にクリスマスの本当の意味をお伝えしましょう。

ユーオーディア代表    柳瀬   洋