【ニュースレター巻頭言】12月号『わたしを呼べ』

主の御名を賛美いたします。
今年ももうすぐアドベント(早いですね!)、皆様いかがお過ごしでしょうか。主の恵みと祝福がお一人一人のうえに豊かに降り注がれますように。

アドベントとはラテン語で「到来」「来臨」を意味する「Adventus」が語源で「キリストが生まれた(この世に現れた)クリスマスという日を待ち望む」という意味だそうです。日本語では「待降節」と言います。
しかし、主イエス・キリストはすでに来られ、贖いを成し遂げられました。ですから今、私たちが待ち焦がれているのは、再び戻って来られる主イエス・キリストです。
二千年前に来られた主イエス様はロバの子に乗って入城されました。ロバは平和の象徴です。主は私たちと神様との間に平和をもたらすために(救うために)来られました。
しかし、イエス様が再び来られる時には白い馬に乗って来られます(ヨハネの黙示録 19:11)。馬は戦いの象徴です。白い馬に乗って来られるキリストは罪を裁くために戻って来られるのです。
その日は破滅の日ではなく、神の歴史の完成の時であり、勝利、歓喜の日です。その日がいつなのかは誰にもわかりません。しかし、主は時を見極めなさい(目を覚ましていなさい)と言われました。主は義と公正をもって全地を裁かれます。悪が見逃されることはありません。

今の世界は不法がはびこり理不尽な殺戮が行われています。民族が民族に敵対し、主義主張が人々を分断し、枯渇するエネルギーや食物を巡って奪いあっています。思いやり助け合うのではなく、他を滅ぼそうとしています。目を覆いたくなるようなニュースが毎日目に飛び込んできます。本当にかわいそうで、悲しくて、怒りを覚えます。またそのような状況がいつ自分に襲いかかってくるかもわからないのです。
しかし「神は愛です」(Iヨハネ 4:8)。神様がこのようなことを放っておかれるはずがありません。理不尽に命を奪われた人々や苦難や悲しみの中にある人々が主に見過ごされることは決してないのです。例えば、マタイの福音書2章に記されているヘロデ王に殺された多くの幼子たちは、キリストのための「最初の殉教者」と呼ばれます。これはほんとうに悲惨な事件ですが、彼らが天で受ける報いは計り知れないのです。神は愛です。

さて、アドベント(キリストを待ち望む時)、私たちは何をすべきでしょうか。世を嘆き、未来に対して恐れを抱くべきでしょうか。
主は言われます…「わたしを呼べ!」と。「そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。」と言われます。「主を呼ぶこと」からすべてが始まります。「自分にいったい何ができるのだろう?何と無力なのだろう!」と立ち止まるのではなく、私たちは今、「主を呼ぶこと」「主に叫び求めること」を主から命じられているのではないでしょうか。
『そうすれば!』わたしは答えると、主は言われます。

ユーオーディア代表 柳瀬